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「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡(ゆいせき)を検知(けんち)す。」とは、高野山の大門の柱に掛けてある、柱聯(ちゅうれん)に書かれている文字で、文章の典拠は諸説有るようですが、「同行二人」の元と成った言葉のようです。
 ちなみに、柱聯とは、あまり日常聞き慣れない言葉ですが、お寺の山門や本堂の柱に掛かっている木片や竹片の飾りで、高野山の大師教会本部の大講堂の柱には、「相互礼拝・相互供養」の柱聯が掛けられ、こころの中に隠れている仏様の部分を、互いに認め合い研鑽していくよう諭しています。
 その精神は、弘法大師様が「遍照金剛」と言う潅頂名を授かり、一個人では無く、公の人生を送られる中で、多くの命が生かされていく道を常に模索して、輝かせる方法を見つけて行かれたことにも繋がっています。
 いわゆる、個人を埋没させる様な犠牲の精神では無く、一人一人が互いを生かし合う相乗効果を目指した活動と言えるでしょう。
 ここでもう一度、「同行二人」に立ち返りこの言葉を良く味わってみましょう。果たして、お大師様がいつも側に就いていて下さるだけで良いのでしょうか。困ったときに助けて頂ける期待感だけで良いのでしょうか。
 実は、日々にお大師様のお姿を観じる信仰心だけでは無く、その求められた道やおこころを探っていかなければ、同行二人の言葉も、困ったときの神頼みで終わってしまいます。
 お釈迦様は、生け贄を捧げ、神に願い事を嘆願する当寺の常識を離れ、自らのこころに問いかけることで、多くの困難を克服する道を選択されました。その精神の元で、密教は神仏への崇拝のみに留まっていた古代の信仰を、ダイナミックな曼荼羅の世界観へと広げてきたのです。
 その発想力は計り知れません、常に常識の枠を上回る認識を持って、事に当たって来られた多くの先達が今までは居られました。この先はどうでしょう。今のままでは、すねをかじって忘却の彼方の遺跡を懐かしむだけになってしまいかねません。
 今こそ、これからの信仰の在り方を模索し今までのあらゆる事に感謝しつつ、生かし合える新しい在り方を模索して行く時です。
 お釈迦様やお大師様がなさったように、困ったときに頼りに成る様な人に、自分を鍛えていきましょう。お大師様に寄り添って頂くのでは無く、誰かに寄り添ってあげられる人に自分を育てて行きましょう。
 困難な時代は過去から未来に向けて脈々と続いていきます。きっと楽には成らないでしょう。だからこそ待つのでは無く、いかなる困難にも対応できるように、備えましょう。きっと出来るはずです、お釈迦様やお大師様と同じだけの道具は、全員が授かって生まれてきているのですから。貴方は大切な仏様の一員です。周りには命に満ちた世界が広がっています。
平成23(2011)年11月:修詮記

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